山電・亀山駅周辺散策コース
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山電・亀山駅
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亀山本徳寺
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浄土真宗本願寺派で、地元では「御坊さん」の名で親しまれています。当時は、別格別院・中本寺と呼ばれていました。開基(かいき:寺院を始めて建てること)は蓮如上人(れんにょ)が行い、初代住持(じゅうじ:住職)には、孫の実玄(じつげん)が努めました。1492年(明応元年)、本願寺第8代蓮如上人の弟子・空善(くうぜん)はじめ5人の御弟子が、播磨国・英賀の浦(現在の姫路市英賀保)に道場を建立、布教伝道にあたり、翌年本徳寺の寺号を公称し、西の拠点として発展しました。
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【英賀から亀山に移築】
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1580年(天正8年)秀吉により英賀城を落城され、播州の中心を英賀から姫路に移し、本徳寺も亀山(現在の姫路市亀山)に移築されました。1602年(慶長7年)本願寺東西分立により、本徳寺は東本願寺に帰属しましたが、姫路藩主・池田輝政の時、西本願寺に転派しました。
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1868年(慶応4年)本堂・蓮如堂を焼失。そのため、現在の本堂は西本願寺・北集会所(しゅうえしょ)を移築したそうです。柱には「新撰組」による刀傷傷の後が残っています。
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【西国の総録所】
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江戸時代は、西国の総録所(そうろくしょ)ならびに傘下に380余の本寺として重要な役割を果しました。明治以降、本願寺の改革が行われ、亀山本徳寺は『別格別院制』の制定によって、『播磨別格別院』となり、播州の全門信徒を構成員として組織され、念仏の中心道場としての役割を担い、亀山は栄えました。
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【ロケ地としても有名】
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亀山本徳寺周辺のお寺
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亀山本徳寺周辺には、光養寺、勝久寺、浄福寺、光照寺、眞行寺、正龍寺、法受寺、法性寺、長榮寺、西徳寺の浄土真宗のお寺があります。
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飾磨街道
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飾磨街道は、姫路城飾磨門から飾磨津まで、ほぼ直線の約4kmの計画道路でした。
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銀の馬車道(飾磨街道)
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「播但貫く、銀の馬車道・鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~が、年(平成29年)4月28日、文化庁により「日本遺産」に認定されました。
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生野鉱山(現・朝来市)と飾磨港(現・姫路市)を結ぶ道路で、鉱山関連物資の輸送のために旧但馬街道(生野街道)を、生野鉱山に招聘されていたフランス人技師ジャン・フランシスク・コワニエの提案により工部省鉱山寮が整備したものである。1875年(明治6年)に着工、1878年(明治9年)に竣工した。
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2019年7月7日日曜日
山電・亀山駅周辺散策コース
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