JR山陽本線・英賀保駅周辺散策コース
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JR山陽本線・英賀保駅
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山陽電車・西飾磨駅
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英賀について
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古くは「室街道」と呼ばれ、飾磨から津田・英賀・広畑・網干、更に室津にまで通じていました。この室街道の道中に英賀城がありました。ここ英賀は、秀吉の西国攻めで落城した英賀城と英賀本徳寺とともに栄華を誇った「まち」です。今も、英賀城や英賀本徳寺跡・英賀神社といった当時の歴史遺産が数多く残っています。
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水城と呼ばれた「英賀城」
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英賀城は室町時代の中頃、赤松一族によって造られましたが、1441年5月、城主の赤松祐尚(すけなお)が亡くなり、恋浜(現在の白浜町)の城主・三木氏がここに移り大きな城に建て替え、約140年間、東は的形から西は室津までを領土として英賀は栄えました。1580年(天正8年)1月、羽柴秀吉は三木城を落城させた後、同年2月、英賀(三木通秋)に攻め込みます。秀吉の策略に応じた三木与一兵衛ら5人が秀吉軍を城内に入れたことにより、焼き討ちにあい、英賀城は一夜にして廃墟となってしまいます。
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英賀城・復元土塁
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英賀城郭区域復元図
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英賀城・野中口之跡碑
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英賀城土塁跡(英賀神社)
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英賀神社
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英賀城・岡芝口之跡碑
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英賀本徳寺跡石碑
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夢前川・歌野橋の北側周辺の川底(英賀本徳寺跡復元図遠藤博善:測量の歴史より)に英賀本徳寺がありました。この本徳寺は、1492~1501年(明応年間)に蓮如上人の弟子・空善が建立した寺で、後に、蓮如の孫・実玄を迎え、播州浄土真宗の本拠とし、1515年(永正12年)英賀本徳寺が完成しました。その後、秀吉の英賀城攻略の後、亀山へ移されました。1928年(昭和3年)英賀村の青年団が英賀本徳寺跡に石碑「英賀本徳寺址」を建てますが、1941年(昭和16年)河川付け替えで明連寺の境内に移されました。
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英賀城の港跡・田井ケ浜之跡碑
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英賀城・田井ヶ浜之跡碑
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英賀城は、赤松氏の居城でしたが、三木通近が白浜から移り、新城を築き、土塁をめぐらせ田井ヶ浜に港を開き、一大城郭を築き「岩繁城(いわつきじょう)」と名付けました。NHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」でも放映されたが、毛利軍が播磨に上陸したのが「英賀城下の港・田井ケ浜(姫路市飾磨区中浜町)」なのです。
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英賀城の港跡
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英賀城・井ノ上口之跡碑
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英賀城・井之上口之跡碑
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英賀城・本丸跡石碑
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英賀城・本丸跡石碑
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この英賀城本丸跡石碑は、英賀城本丸のあったところに1960年(昭和35年)建てられました。
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英賀城・芝の口之跡碑
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英賀城・芝の口之跡碑
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2019年7月20日土曜日
JR山陽本線・英賀保駅周辺散策コース
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