高田賢三
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高田賢三(たかだけんぞう)1939年姫路市生まれ。兵庫県立姫路西高等学校卒業後、文化服装学院デザイン科師範科卒業。同級のデザイン科9期生には、コシノジュンコ、松田光弘、金子功、北原明子ら、後のファッション界をリードする「花の9期生」と呼ばれた。卒業後、「三愛」「ミクラ」を経て1960年に第8回装苑賞受賞。1965年渡仏。「ビューロードスチール」に勤めた後、1970年独立。パリ2区のギャルリ・ヴィヴィエンヌで、プレタポルテのブティック「ジャングル・ジャップ」(現ケンゾー)をオープン。「ELLE」の表紙も飾り、パリ・コレクションで注目される世界的ファッションブランドの1つに成長した。
1991年、デザイナーを引退。1993年フランスの有名ブランドメーカー「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」にブランド売却。しかし、2003年独立デザイナーとして復帰。2004年にはアテネオリンピックの式典・移動用ユニフォーム(ユニクロ)のデザインを担当した。
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1989年5月、故郷の姫路で初めての野外ファッションショー「ケンゾー・IN・HIMEJI」(姫路城三の丸広場)、「KENZO展」(姫路市立美術館)を開催。
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姫路市立美術館
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世界的ファッションデザイナーの髙田賢三さんが図柄を描いた2種類の緞帳(どんちょう)が、2021年秋竣工の「姫路市文化コンベンションセンター」の大・中ホールに備え付けられる。2021年姫路市名誉市民に。 生誕1939年 ⇒ 死去2020年 享年81歳
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「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
2019年12月30日月曜日
ファッションデザイナー「高田賢三」
2019年12月29日日曜日
落語家・人間国宝「桂米朝」
桂米朝
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桂米朝(かつらべいちょう:本名・中川清)は姫路市生まれ。入門当時、滅びかけていた上方落語の復興に尽力し、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂春団治と共に「上方落語の四天王」と呼ばれた。1996年(平成8年)、上方落語界としては初めて(落語界では2人目)の「人間国宝」に認定され、2009年(平成21年)演芸界初の「文化勲章」受章者となる。
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2019年12月28日土曜日
歴史作家「司馬遼太郎」
司馬遼太郎
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祖父の代まで姫路市広畑区に在住。司馬遼太郎(しばりょうたろう)は大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年(昭和35年)、「梟(ふくろう)の城」で直木賞受賞。1961年から文筆に専念し、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年の「竜馬がゆく」で菊池寛賞受賞。「国盗り物語」「播磨灘物語」など「司馬史観」とよばれる雄大な構想と巧みな語り口で読者を魅了した。1971年開始の「街道をゆく」などの連載半ばにして、1996年急逝。「司馬遼太郎全集」は、全68巻がある。
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1993年(平成5年)文化勲章受章。
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司馬朗太郎の代表作「播磨灘物語」の文学碑が英賀神社境内にあります。
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2019年12月27日金曜日
東大寺別当「清水公照」
清水公照
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清水公照(しみずこうしょう)は姫路市生まれ。16歳の時、東大寺宝厳院に入り,竜谷大卒業後天竜寺で禅を学ぶ。その後、宝厳院住職となり、1974年(昭和49年)第208世・第208世東大寺別当となる。1975年(昭和50年)華厳(けごん)宗管長。1980年(昭和55年)50億円の巨額を投じ大仏殿の昭和大修理を完成させた。後に東大寺長老となる。
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著作:「華厳経入門」、画文集「花ぼとけ」などがある。
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素朴な手ひねりの泥仏づくりも名人級で作品の大半は「書写の里・美術工芸館」に収蔵展示されている。
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手ひねりの泥仏
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2019年12月26日木曜日
作家「椎名麟三」
椎名麟三
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椎名麟三(しいなりんぞう、本名:大坪昇)は姫路市生まれ。姫路中(現姫路西高)中退後、山陽電鉄に入社。戦後文学の代表作「深夜の酒宴」で作家デビュー。自伝小説「自由の彼方で」や「美しい人」、「永遠なる序章」は戦後文学の傑作といわれている。
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晩年、故郷の姫路でミュージカル「姫山物語」を執筆・演出した。
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椎名麟三文学碑
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2019年12月25日水曜日
作家「阿部知二」
阿部知二
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阿部知二(あべともじ)は岡山県生まれ。父の転勤で姫路に住み、姫路中(現・姫路西高)卒業、東大英文科卒業。翻訳・評論の傍ら「日独対抗競技」で作家デビュー。1935年(昭和10年)「冬の宿」は代表作。1941年「白鯨」は翻訳の代表作。1954年、女子寄宿舎を描いた「人工庭園」は、「女の園」として木下慶介監督が映画化、キネマ旬報ベストワンになった。「世界文学全集」の編者やシャーロック・ホームズシリーズの最初の翻訳としても知られる。
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終戦直前に姫路へ疎開。「城」や三木清を描いた「捕囚(ほしゅう)」など名作を生み、戦後の播磨の文化運動をリードした。
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2019年12月24日火曜日
原爆症治療の父「都築正男」
都築正男
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都築正男(つづきまさお)は姫路市生まれ。姫路中(現姫路西高)から東京帝大卒後、海軍軍医となり軍籍のまま1929年(昭和4年)東京帝大教授に就任。1945年(昭和20年)広島・長崎の原爆被災の後、文部省学術研究会議の原子爆弾災害調査研究特別委員会医学部門長として調査・救護にあたり、日本で最初の原爆症の医学的記録「所謂<原子爆弾傷>に就いて」「医学の立場から原子爆弾の災害」を発表したが、GHQに一部削除された。1953年(昭和28年)広島原爆傷害者治療対策協議会の委嘱で、原爆症患者の公開整形手術を行う。1954年(昭和29年)米国のビキニ水爆実験で被爆した第5福竜丸乗組員の医学的調査・診療にあたり、ジュネーブの国際赤十字委員会総会で調査結果を報告。1959年(昭和34年)医学・物理・科学・生物などの研究者で日本放射線影響学会を設立。初代会長となった。
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1958年(昭和38年)姫路市名誉市民第1号の称号を贈られました。
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1999年(平成11年)姫路市で資料展「原爆症治療の父-都築正男の生涯」が開催されました。
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2019年12月23日月曜日
詩人・歌人「有本芳水」
有本芳水
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有本芳水(ありもとほうすい)は飾西郡津田村(現:姫路市飾磨区)生まれ。早稲田大学卒業後、実業之日本社に入社。雑誌「日本少年」などを編集しながら詩作。感傷的な少年詩で大正初期の子供たちを魅了した。
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少年詩集:1914年の「芳水詩集」、1917年の「旅人(りょじん)」、1918年の「ふる郷(さと)」など
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少年小説:1915年の「怪軍艦」、1916年の「馬賊(ばぞく)の子」など
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「芳水詩集」には、竹久夢二の装幀挿画(そうていさしえ)があり、夢二との友情は長く続きました。
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2019年12月20日金曜日
幼児教育者「野口ゆか」
野口ゆか
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野口ゆかは(姫路藩士の長女)姫路市生まれ。姫路中(現姫路西高)中退後、東京女子高等師範学校(現お茶の水女大)卒業。同付属幼稚園で保母になり、華族女学校(女子学習院)付属幼稚園に移り、保母から教授・園長まで28年間在職した。1900年、貧しい子供たちのために「二葉幼稚園」を設立。
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2019年12月19日木曜日
日本銀行第6代総裁「松尾臣善」
松尾臣善
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松尾臣善(まつおしげよし)は、姫路市に生まれ。宇和島藩に仕え、維新後は財政官僚として大蔵省出納局長、日本銀行理財局長などを歴任し、1903年(明治36年)日本銀行第6代総裁となる。1911年(明治44年)、貴族院議員に勅選(ちょくせん)され、1907年(明治40年)男爵となる。
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日本銀行
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2019年12月18日水曜日
儒学者「亀山雲平」
亀山雲平
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亀山雲平(かめやまうんぺい)は、幕末から明治にかけ、姫路藩士・儒学者・神官・教育者として活動。江戸「昌平黌(しょうへいこう)」に学び、大目付として幕末期の藩政に携わった。明治以後は、姫路市灘に開いた「観海(かんかい)講堂」で後進の指導につくし「播磨成人」と呼ばれた。松原八幡神社の宮司として「灘のけんか祭り」にも功績を残した。
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2019年12月17日火曜日
歌人「柿本人麻呂」
歌人「柿本人麻呂」
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人丸神社
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柿本人麻呂を祀っている神社と浅陰沼(あさかけぬま)は、稲岡山西の麓・青山公園内にありました。柿本人麻呂がこの地に住みついたとき、遠く「岩見の国(現在の島根県浜田市周辺)」にいる妻の夢をよく見られたそうで、当時、この辺りを「妻見ケ丘」と呼ばれていました。
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青山公園
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柿本人麻呂詩歌「青山や あさかけ沼の みかくれに あはんとすれど 逢うよしもなし」が残っています。
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