「一ツ山・三ツ山」ひな型
|
|||
一ツ山・三つ山ひな型
|
|||
射楯兵主神社において61年ごとに執行される「一ツ山」、21年ごとに執行される「三ツ山」神事にあたって、社前に設けられる「置き山」のひな型で、二色山(にしきやま)・五色山(ごしきやま)・小袖山(こそでやま)の3基あり、大きさは実物の10分の1で、実物は祭礼が終わると解体されるので、ひな型を作っておく慣わしがありました。
|
|||
|
|||
|
|||
「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
2019年10月31日木曜日
国指定重要有形民俗文化財「一ツ山・三つ山ひな型」
2019年10月30日水曜日
国指定史跡「壇場山古墳」
壇場山古墳第一・二・三古墳
|
||
|
||
史跡・壇場山古墳
|
||
5世紀前半に築かれた前方後円墳で、墳丘(ふんきゅう)の全長は143mで、県下第2位の規模だそうです。墳丘は三段築制で、周濠があり部分的に周堤が残っています。後円部墳頂には縄掛け突起を有する竜山石製長持形石棺の蓋の一部が露出し、墳丘上では円筒埴輪・家形・盾形などの形象埴輪も採集されています。周囲にはかって数基の陪塚がありましたが、現在では櫛之堂古墳・林堂東塚古墳の2基が残るのみで、北西には一辺約60mの方墳・山之越古墳が残っています。
|
||
|
||
|
||
2019年10月29日火曜日
国指定史跡「播磨国分寺跡」
播磨国分寺跡
|
||
史跡・播磨国分寺跡
|
||
播磨国分僧寺は、御国野周辺は大きな古墳があり、豪族が代々住み早くから文化が発達していたこと、すぐ北を山陽道が通り、3kmほど南には継湖(つぎのみなと)という港があり、陸海ともに交通の要所であったことから御国野に建設されたといわれています。創建当時(奈良時代)は、東西南北約200mもある正方形の広大な土地に、南大門・中門・金堂・講堂の他に七重の塔を備えた大きな寺で、20人の僧が住んでいたそうです。
|
||
|
||
|
||
2019年10月28日月曜日
国指定史跡「瓢塚古墳」
瓢塚古墳
|
||
史跡・瓢塚古墳
|
||
瓢塚古墳(ひさごづか)は全長約100mで、最古式の古墳としては播磨最大の規模の古墳です。後円部の南縁には、長さ2m以上、幅約1.3mの竪穴式石室があります。
|
||
|
||
|
||
2019年10月27日日曜日
姫路食博
姫路食博2023&城下町ほろ酔い横丁
|
|||||||
姫路食博2023 食は、いのち。未来へのつながり 姫路・播磨のご当地グルメが姫路城下に集まり、食のおもてなしと共に各地の食の魅力を発信!! | |||||||
姫路・城下町ほろ酔い横丁 地酒・地ビールの饗宴 ステージイベント開催!姫路大手前通りイルミネーションを見ながら楽しく食べて飲みましょう!
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
2019年10月26日土曜日
書写山もみじまつり
書写山もみじまつり
|
||||||||
今年の「書写山もみじまつり」は、重要文化財の特別公開やジャズライブ、ライトアップなどを開催します。
|
||||||||
|
||||||||
もみじライトアップ
|
||||||||
|
||||||||
ジャズライブ
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
2019年10月25日金曜日
姫路城西御屋敷跡庭園・好古園「紅葉会」
好古園・紅葉会
|
||||||||||
絶景紅葉百選の選ばれた「好古園・紅葉会」は、週末には艶やかにライトアップ!!
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
2019年10月24日木曜日
姫路城「人間将棋・姫路の陣」
「人間将棋・姫路の陣」
|
|||||||||
プロ棋士が甲冑や陣羽織など戦国衣装をまとった人間の駒を指揮し、勝敗を決するユニークな催しです。他には、「詰将棋クイズ」や「自由対局」「ゲスト対局:俳優・山本耕史さん」など盛りだくさん。
|
|||||||||
|
|||||||||
|
|||||||||
2019年10月23日水曜日
姫路・農林漁業まつり
姫路の農林漁業まつり
|
||||||||||
姫路市内の農業、林業、水産業に携わる人たちが集まり、農林漁業まつりを開催。カニ釣りやふれあい動物園、農産物や海産物などの即売会、姫路和牛の試食会、手作り朝ごはんコンテストなど・・・
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
2019年10月22日火曜日
国指定史跡「置塩城跡」
置塩城跡
|
||
|
||
史跡・置塩城跡
|
||
置塩城は、標高370mの城山山頂部に、東西約600m、南北約400mに広がる播磨最大規模の山城です。山上には、曲輪、通路、石垣、土塁などの遺構もよく残り、2001年~2005年に行われた発掘調査では、主郭から礎石や庭園、築地土塁を持つ格式の高い屋敷跡が確認されています。また、伝本丸からは基礎を塼瓦(石畳のように土間や地面などに敷き並べる平たい瓦のこと)で区画した天守に似た櫓状の建物も発見されています。1441年、嘉吉の乱後に赤松宗家を再興した赤松政則が播磨守護に就き、1469年(文明元年)に築城しました。以後、義村・晴政・義祐・則房の五代にわたり、置塩城を赤松家の本城としました。1580年(天正8年)、播磨を平定した羽柴秀吉は、翌年、播磨国内の置塩城他の破却を命じ、1585年(天正13年)則房が阿波へ移封されるまでの間に置塩城は廃城になったと考えられています。
|
||
|
||
|
||
登録:
投稿 (Atom)