姫路城周辺・東地区散策コース
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国府と餝磨(しかま)の市とは
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大化の改新で国府が置かれたのが城東町周辺といわれています。国府には市(いち)が設けられ、枕草子に記載されている「餝磨(しかま)の市」は有名で、城東町から市之郷周辺にあったといわれています。最も栄えたのは鎌倉初期で「飾磨の褐(かち)染め」が有名だったそうです。ちなみに、この「市」にちなんだ地名が、市之郷や市川だといわれています。池田輝政の町割りにより外濠以西は城下で、神屋は旅籠町となり、下級武士の屋敷が多くあったそうです。
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九所御霊天神社
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神九所御霊天神社(くしょごりょうてん)は、屋の天神と親しまれています。当初は五座の神霊を祀ったが、近世になって小名彦名命(すくなびこなのみこと)を主神とし、大物主神(おおものぬしのかみ)、菅原道真ら九所(九神)の御霊を祀っています。玉垣には、江戸時代の姫路木綿の商人や大年寄の山本佐七郎、内海荘右衛門らの名や明治の銀行、企業など当時の有力者の名があります。
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宝蔵院
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真言宗醍醐寺派で、快順(かいじゅん)が開基。毎年7月に「祇園さん」という夏祭りが行われています。
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白山神社
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白山姫命を祭神とし、歯の神様として尊崇されています。社殿は、1933年(昭和8年)に再建されました。
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播磨政所跡
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大化の改新によって、播磨の国府が飾磨郡に置かれました。その所在は真宗寺や白山神社の周辺だと昔からいわれています。このあたりは志深(しじみ)、国府寺村と称したので、志深政所(まんどころ)・国府寺政所と呼ばれていたそうです。後白河法皇の増位山御幸のとき、宿泊された館もこのあたりにあったと伝えられています。真宗寺の前に少しばかりの空濠と播磨政所の標石が立っています。
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播磨政所の空濠跡
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竹の門跡
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竹之門絵図絵図
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外濠・竹の門の造りは、枡形や喰い違いのない簡単な造りでした。建物も単門で、由来は鬼門にあたるため「他家=竹」の門と命名されたそうです。この付近には、濠の跡が残っていますが、遺構は残っていません。
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妙立寺
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妙立寺(みょうりょう)は、顕本法華宗妙満寺派、遠州吉美郷で日円上人が開基。1604年(慶長9年)池田輝政の町割りのとき招かれ移転。山門は戦災を免れました。1885年~1887年(明治18年~20年)まで東区務所が置かれていました。
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法華寺
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日蓮宗本圀寺派、播磨三木で日登が開基。1602年(慶長7年)池田輝政の町割りのとき招かれ移転。千姫の位牌堂を城内から移築して祀っていましたが、戦災で焼失しました。
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2019年7月4日木曜日
姫路城周辺・東地区散策コース
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