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2020年1月16日木曜日

姫路野里地区の町名由来

五十音順
姫路野里地区の町名由来

生野町(いくのまち)
江戸時代から名付けられた町人町で、由来は但馬街道の出入口で生野に通ずることから名付けられた。

伊伝居(いでい)
田に水が湧くことから「井出村」と呼ばれ、明治に「伊伝居村」となり、現在に至る。

威徳寺町(いとくじまち)
昔、威徳寺という寺があったから名付けられた。

大野町(おおのまち)
もとは「野里村」といったが、後の町割りで「町屋敷」となり、鋳物師・芥田五郎右衛門が今の五郎右衛門邸から移ったので、「鋳物師町」と名付けた。明治になり「大野町」と名付けられた。

鍵町(かぎまち)
鍵形に道が折れていることから名付けられた。

鍛冶町(かじまち)
鍛冶屋があったので名付けられた。農具やその修理に欠かせない職業で、当時野里は農地であったてめ、鍛冶職人も集団で暮らしていた。江戸時代は「鍛冶屋町」と呼ばれていた。

金屋町(かなやまち)
金屋は踏鞴師・鍛冶師・鋳物師の作業場のことで、その人達が住んでいたから名付けられた。

河間町(こばさまちょう)
河(大きく曲がって流れる川)と川に挟まれた狭い所「かわはざまちょう」が「こばっさま」になったといわれている。

米屋町(こめやまち)
米屋があったので名付けられた。

五郎右衛門邸(ごろうえもんてい)
鋳物師の棟梁・芥田五郎衛門の敷地であったことから名付けられた。

境町(さかいまち)
姫山にあった正明寺の寺領四至の境にあったので名付けられた。

同心町(どうしんまち)
元禄の頃まで「足軽町」と呼ばれ、組屋敷で広い面積を占めていた。後に同心が住んだので「同心町」と名付けられた。

伽屋町(とぎやまち)
古二階町の前に「伽屋町」があった。寝所に侍(はべ)るなどの意の「伽」ではなく、「研」の当て字だそうです。

野里(のざと)
古くから人々が多く暮らしていたところ。710年頃「大野(荒れた広い野原)」が開墾されて人々が住む里になり、後に大野の大が省略され「野里村」が生まれた。江戸時代は生野街道の発着地として「野里鋳物師」ら様々な職業の人達が野里街道の両側に建ち並び、城下町姫路の繁栄を担った。明治時代には、生野銀山の鉱石を飾磨港へ運ぶ、銀の馬車道の拠点にもなった。

福本町(ふくもとまち)
昔は「比丘尼町(びくにまち)」と呼ばれていたが、尼僧も少なくなり町名を好字に改め「福本町」とした。

福居町(ふくいまち)
もともと「白井村」と呼ばれ、都のお公家さんが詠んだ歌が白井村に起源だそうです。後に「福居町」となった。

橋之町(はしのまち)
川を埋め町家になったことから名付けられた。

坊主町(ぼうずまち)
約350年前につけられた町名で、「坊主」は寺院の僧侶ではなく、能や芝居で舞台上の役を務めた人、つまり現在の俳優のことです。この俳優達が多く住んでいたことから名付けられた。

八木町(やぎまち)
八十八つまり米の字にあやかった好字(こうじ)を町名にしたといわれている。
(参考:新・姫路の町名)


2020年1月15日水曜日

姫路船場地区の町名由来

五十音順
姫路船場地区の町名由来

景福寺前(けいふくじまえ)
藩主・酒井家の菩提寺・景福寺の門前町から名付けられた。

小姓町(こしょうまち)
お城の小姓(主君の身近に仕える武士のこと。)が居住していたことから名付けられた。

小利木町(こりきまち)
ここには薪を売る問屋が軒を並べていました。木を切る「樵(きこり)」と「木」から「こりき」と呼ばれるようになり、のちに「小利木」の字が当てられたそうです。

材木町(ざいもくまち)
これまで龍野町や堺町・竹田町・生野町に散在していた材木屋を船場川の改修を機に、ここに移らせ「材木町」と名付けられた。

鷹匠町(たかじょうまち)
城下町に多い町名。戦国大名は競って鷹狩りをした。そのために鷹を狩猟用に育て訓練する匠達が住んでいたことから名付けられた。

龍野町(たつのまち)
この町は、姫路城下町の原点ともいうべきところで、秀吉が英賀城を攻め落とした1580年、ここに楽市の制を布き、町人・農民の人々を呼び寄せ、町の繁栄を講じた場所。龍野に通じる街道筋から「龍野町」と名付けられた。

地内町(ぢないまち)
町内に中央に「船場本徳寺」があり、この地名はこの寺の寺内、地内の町というところから名付けられた。

農人町(のうにんまち)
農民が多く住んでいたことから名付けられた。

博労町(ばくろうまち)
江戸時代の町人町で「博労(家畜商、馬の鑑定士)」が居住していたことから名付けられた。

柳町(やなぎまち)
清水のほとりに大きな柳の木があったことから名付けられた。ここの水は「柳の井戸」「柳の水」と呼ばれる名水だったそうです。

山野井町(やまのいちょう)
水尾山の上から水が湧いていたことから名付けられた。

吉田町(よしだまち)
町名は、池田輝政が三河国吉田から姫路城に入城した際、吉田からの移住者が居住した場所から名付けられた。

米田町(よねだまち)
江戸期、米屋街であったことから名付けられた。
(参考:新・姫路の町名)


2019年7月7日日曜日

山電・亀山駅周辺散策コース

山電・亀山駅周辺散策コース

山電・亀山駅
山電・亀山駅(出発) ⇒ 亀山本徳寺 ⇒  亀山本徳寺周辺散策 ⇒ 飾磨街道・銀の馬車道 ⇒ 山電・亀山駅 ⇒ 山電・姫路駅(着) 帰路へ

亀山本徳寺

浄土真宗本願寺派で、地元では「御坊さん」の名で親しまれています。当時は、別格別院・中本寺と呼ばれていました。開基(かいき:寺院を始めて建てること)は蓮如上人(れんにょ)が行い、初代住持(じゅうじ:住職)には、孫の実玄(じつげん)が努めました。1492年(明応元年)、本願寺第8代蓮如上人の弟子・空善(くうぜん)はじめ5人の御弟子が、播磨国・英賀の浦(現在の姫路市英賀保)に道場を建立、布教伝道にあたり、翌年本徳寺の寺号を公称し、西の拠点として発展しました。
【英賀から亀山に移築】
1580年(天正8年)秀吉により英賀城を落城され、播州の中心を英賀から姫路に移し、本徳寺も亀山(現在の姫路市亀山)に移築されました。1602年(慶長7年)本願寺東西分立により、本徳寺は東本願寺に帰属しましたが、姫路藩主・池田輝政の時、西本願寺に転派しました。
1868年(慶応4年)本堂・蓮如堂を焼失。そのため、現在の本堂は西本願寺・北集会所(しゅうえしょ)を移築したそうです。柱には「新撰組」による刀傷傷の後が残っています。
【西国の総録所】
江戸時代は、西国の総録所(そうろくしょ)ならびに傘下に380余の本寺として重要な役割を果しました。明治以降、本願寺の改革が行われ、亀山本徳寺は『別格別院制』の制定によって、『播磨別格別院』となり、播州の全門信徒を構成員として組織され、念仏の中心道場としての役割を担い、亀山は栄えました。
【ロケ地としても有名】
関ケ原
2017年配給 東宝
原作:司馬遼太郎
監督:原田眞人
出演:岡田准一、有村架純

本能寺ホテル
2017年配給 東宝
監督:鈴木雅之
出演:綾瀬はるか、堤真一

大河ドラマ「新選組」
2004年 出演:香取慎吾

大河ドラマ「軍師官兵衛」
2014年 主演:岡田准一

「女信長」フジTV
出演:天海祐希

☎ 079-235-0242
姫路市亀山324

亀山本徳寺周辺のお寺

亀山本徳寺周辺には、光養寺、勝久寺、浄福寺、光照寺、眞行寺、正龍寺、法受寺、法性寺、長榮寺、西徳寺の浄土真宗のお寺があります。

飾磨街道

飾磨街道は、姫路城飾磨門から飾磨津まで、ほぼ直線の約4kmの計画道路でした。

銀の馬車道(飾磨街道)

「播但貫く、銀の馬車道・鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~が、年(平成29年)4月28日、文化庁により「日本遺産」に認定されました。
生野鉱山(現・朝来市)と飾磨港(現・姫路市)を結ぶ道路で、鉱山関連物資の輸送のために旧但馬街道(生野街道)を、生野鉱山に招聘されていたフランス人技師ジャン・フランシスク・コワニエの提案により工部省鉱山寮が整備したものである。1875年(明治6年)に着工、1878年(明治9年)に竣工した。