姫路城周辺・西地区散策コース
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景福寺
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本堂
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景福寺は、酒井家の菩提寺として由緒ある寺です。1369年、永平寺の通幻寂霊禅師が摂津国六瀬に創建。境内の老松から瑞雲山と号しました。戦国時代、兵火を避け摂津から加古川に移り、池田輝政築城の時、坂田町に移され、酒井忠恭が藩主の時、酒井家の菩提寺として現在地に移されました。
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見星寺と寛延洪水
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見星寺は、1635年(寛永12年)呑海(鎌倉時代の僧)が開山したといわれています。
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<寛延洪水とは>
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1749年(寛延2年)船場川の大洪水で船場だけで約320人がお亡くなりになったそうです。境内にある「為流死菩薩供養所」碑は、1773年(安永2年)25回忌法要で造られたものです。
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西国街道(山陽道)
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龍野町の古い町並み
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龍野町は、龍野へ通じる入り口だったのと、龍野からの移住者が多かったので龍野町と名付けられたといわれています。播磨攻めに勝利した羽柴秀吉は、落城した英賀城下の住民を龍野町に移し、楽市を開設させました。
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県庁だった旧姫路赤十字病院跡
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旧姫路赤十字病院
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旧姫路赤十字病院があったこの場所には、飾磨県の県庁所在地が置かれていました。1871年(明治4年)、明石県など十県が統合され姫路県が誕生しましたが、わずか7日で飾磨県と改められました。徳川幕府に近かった姫路藩の名前の継承は新政府にとって面白くなかったのかも知れません。飾磨県は早速、新庁舎を龍野町に建設。この新庁舎も完成して3日後に兵庫県に統合され、ほとんど使われないまま病院に転用されました。
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車橋の碑
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車橋は、船場川に架かる橋で、池田輝政が築城の際に石材や材木を車で運んだことから車橋と名付けられたそうです。碑が川から離れた所に建立されたのは謎。
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船場本徳寺
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東本願寺(真宗大谷派)の別院で、姫路船場別院・轉亀山(てんきざん)本徳寺といいます。地元では「船場御坊さん」と呼ばれています。1602年(慶長7年)本願寺東西分立により、本徳寺は東本願寺に帰属しますが、姫路藩主・池田輝政の時、西本願寺に転派します。1618年(元和3年)、播磨国に東本願寺の再興を姫路藩主・本多忠政に願い、翌年、池田組屋敷100間四方の土地が寄進され、13間四面の本堂が建立されました。これが姫路・船場本徳寺の創建です。1663年(寛文3年)東本願寺から「別院」の称号が付与されます。以後、二度の失火と戦災にあいましたが、本堂は免れました。現在の本堂は、1718年(享保3年)に再建されたものです。
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表門
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大玄関
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耕地整理記念碑
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1921年(大正10年)新国道開通にともない旧中村村・旧福中村の地に船橋町・花影町など多くの新町が誕生しました。その経過を記した碑は、1928年(昭和3年)建立されました。
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あぼしみち・道標
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千代田町の常夜灯
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千代田町公園内にある「常夜灯」は、1868年(慶応4年)室津道の出入口に建立され、常夜灯には「あぼし・むろつみち」と刻まれています。
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2019年7月5日金曜日
姫路城周辺・西地区散策コース
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