姫路城下「大正・昭和時代」体験コース
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姫路仲買市場開設の地
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大正初期、中壕沿いの坂元町一帯に青果7件、海産物4件の仲買市場が開かれていました。ピーク時は、福中町まで業者が増え、大正末期には80軒を超え、姫路海産物青果組合が結成されました。昭和初期になると坂元町も狭くなり、久保町・京口などの新設市場街へと分散しました。現在でも、市場跡が残っています。
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中壕は国道、外濠は鉄道に
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外濠だったJR姫路駅
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中濠だった国道2号線
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外濠は鉄道の開通、中壕は1932年(昭和7年)国道2号線に。それまで、残っていた濠ですが、時代の要請から次々と埋め立てられました。国道2号線には「中濠埋立之碑」が建てられています。
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中濠埋立之碑
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大手前通り完成
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姫路城下の大手筋は、明治中期まで現在の大手前通り(当時の名称:国府寺小路)の一筋西側の「中之門筋」で、1903年(明治36年)以降は現在の大手前通りの一筋東側の「御幸通り」がその役割を果たしていました。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、姫路大空襲で焼け野原となり姫路市の中心部は甚大な被害を受けました。その戦災復興のため戦災復興土地区画整理事業の目玉事業として、姫路城と国鉄姫路駅(現JR)を結ぶ道路(国府寺小路)の拡幅が姫路市により計画され、1949年(昭和24年)9月に着工、1955年(昭和30年)2月20日に完成し、盛大な式典が行われました。この道路は、建設当時「50m道路」と言われていましたが、一般公募により「大手前通り」と命名されました。当時は、大阪市の御堂筋がそう言われたように「飛行場でも作るのか」と揶揄(やゆ)されました。1984年(昭和59年)2月から1988年(昭和63年)にかけて「大手前通り・シンボルロード整備事業」が実施され、歩道はクスノキ(県木)が植えられ現在の姿となりました。この大手前通りは、姫路市の代表的な祭り、「お城まつりパレード(5月初旬)」、長壁神社の「ゆかたまつり(6月)」が行われ、姫路市民からも親しまれ愛されている道路です。
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JR新幹線開通
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1972年(昭和47年)3月15日、山陽新幹線新大阪~岡山間が開業。
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JR山陽・播但・姫新線高架
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JR山陽本線等姫路駅付近連続立体交差事業は、JR山陽本線約4.3km、JR姫新線約1.3km、JR播但線約1kmの高架化と貨物基地と車両基地の移設を行う、総事業費約632億円、事業期間1989年(平成元年)から2010年(平成22年)までの大規模な事業です。2006年(平成18年)3月、JR山陽本線高架切り替え完了。JR姫新線・播但線2008年(平成20年)12月22日、高架切り替え完了。これで、JR姫路駅周辺の鉄道の高架化がすべて完成しました。
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大きく変わった姫路駅前
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「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
2019年6月28日金曜日
姫路城下「大正・昭和時代」体験コース
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