2019年5月26日日曜日

姫路藩「水運跡」と「有本芳水之碑」

姫路藩「水運跡」

姫路藩領内6ヶ所にあった米蔵の一つで、飾磨にも置かれて「飾磨御蔵」と呼ばれていました。船場川と宮堀川の水運を利用して、高瀬舟で大阪から届いた米や物資を姫路城下まで輸送されていました。
現在の御幸橋西詰一帯(宮公園一帯)は、米蔵の船着場でした。飾磨御蔵の場所は、その船着場の北側周辺にあったといわれています。また、ここ宮町周辺には飾磨市役所庁舎があり、姫路市と合併する昭和初期までは、飾磨市の官庁街として大いに賑わっていました。

有本芳水之碑

有本芳水(ありもと・ほうすい)は、詩人・歌人で、姫路市生まれ。早稲田大学卒後、実業之日本社入社。雑誌『日本少年』主筆として活躍し、詩集には、芳水詩集・旅人・ふる郷・かなしき笛等があります。



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