マッチの生産量日本一・姫路市
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マッチは、1875年(明治8年)東京で始まり、国内市場を満たすと輸出中心となり、貿易に有利な大阪・神戸近辺に業者が集積。その後、輸出が不振となり、外国企業の進出、過当競争等の苦難を乗越えるため、1952年(昭和27年)調整組合の設立により克服。設備の近代化により業界の体質改善にも成功。1970年代、使い捨てライターの普及による需要が落ち込み、その対策として、土地の有効活用(駐車場、テニスコートなど)やラベル印刷技術を活かした印刷業界への転身、広告マッチ販路を活かした販促商品の開拓(紙おしぼり、ティッシュぺーパーなど)、他分野へ経営転換や多角化を促進した。生産地は,神戸から西へ移り、国内の90%が姫路市で生産している。また、2005年(平成17年)、国産マッチ生誕130周年記念式典が神戸で開催された。
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