姫路城築城
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豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制するため、徳川家康から命を受けた池田輝政公は、1601年から8年、1609年(慶長14年)現在の広大な城郭を姫山に築きました。築城に携わった人員は、4~5千万人といわれています。
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選地
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選地(せんち:城を築く場所のこと)にあたっては、三方が山に囲まれ、東は市川、西は夢前川の中央に位置し、交通の要にあるこの地が城を築くのに最も適していたからです。
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天守の種類
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天守の種類
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通常、城の縄張りには、「梯郭式(ていかく)」奥に進むほど高くなる構造、「連郭式(れんかく)」大手から三の丸・二の丸・本丸と列になっている構造、「環郭式(かんかく)」本丸を中心に外側へ、輪のように二の丸・三の丸が広がっている構造、「渦郭式(かかく)別名:螺旋(らせん)式」三の丸から渦巻状にぐるぐる回って二の丸・本丸にたどり着く構造以上、4種類あります。
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縄張り
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姫路城縄張り図
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姫路城の縄張りは、大天守を中心に南の平野部へ左巻きに渦を描きながら螺旋状に広がった「渦郭(かかく)式縄張り」で、日本の城の中では江戸城と姫路城だけの珍しい縄張りです。
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内曲輪
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内濠の内側・内曲輪(くるわ)は、天守閣から水曲輪・備前丸・北帯曲輪・西北腰曲輪(こしくるわ)、一段下がり乾(いぬい)曲輪・二の丸・上山里丸(かみやまさとまる)・西の丸・三の丸と左巻きの渦を描きながら低くなり計画的に縄張りされています。現在、残っている城郭がこの内曲輪にあたります。
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中曲輪
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中濠の内側・中曲輪で、寺社や馬場を除いてすべてが武士の屋敷が建ち並んでいました。特に、城門の内には家老などの身分の高い武士が広い屋敷に住んでいました。これは、戦いになると屋敷に武士を集め、門への攻撃に備えるためです。
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外曲輪
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外濠の内側・外曲輪で、ほとんどが商人や職人が住んでいました。城下町全体の守りを固めるため、外濠の近くに足軽や同心などを住ませておりました。また、戦いになると武士たちを寺社に立てこもらせるため、周辺にあった寺社を強制的に外曲輪の内・東側「寺町」に集めました。ちなみに、姫路城の縄張りの面積は約2.66k㎡です。また、姫路城はシラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城(しらさぎ)」の愛称で親しまれています。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁、5層7階建ての大天守と東・西乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。
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史跡
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1928年(昭和3年)、姫路城跡が史蹟に指定されました。
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重要文化財
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菱の門
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化粧櫓
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南方土塀
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1931年(昭和6年)、姫路城の菱の門、化粧櫓、南方土塀など74棟が指定されました。
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国宝
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1951年(昭和26年)、姫路城の天守閣と西小天守、乾小天守、東小天守、イロハニの渡櫓、附指定、台所1棟の以上5件8棟が指定されました。
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特別史跡
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1956年(昭和31年)、姫路城跡を特別史跡に指定されました。
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世界文化遺産
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1993年(平成5年)、姫路城と法隆寺が我が国初めての「世界文化遺産」に登録されました。
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姫路城が選ばれた百選
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2020年1月1日水曜日
世界文化遺産・国宝・姫路城散策
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