2020年1月3日金曜日

姫路城史跡散策(中濠内)

姫路城史跡散策(中濠内)

姫路城史蹟散策コース
姫路城・東御屋敷・東袋町(出発) ⇒ 御用場(護国神社) ⇒ 小桜町(大手前公園) ⇒ 大名町(国道2号線北一帯) ⇒ 桜町(家老屋敷跡公園一帯) ⇒ 西御屋敷・好古堂・西袋町(着) ⇒ 帰路へ

姫路城侍屋敷図
姫路城の中曲輪は武家地で、城主が居住する東西屋敷、家老などの上級武士の侍屋敷が建ち並んでいました。内曲輪の正面(南側)周辺には役職の高い武士が広い屋敷を与えられました。城の東部・北部にかけては中級から下級武士の屋敷が建ち並んでいました。

東御屋敷

城見台
城主・本多忠政公のとき、姫路城の東西に御屋敷が建てられました。東御屋敷は現在の城見台付近に建てられ、美しい庭と宏壮(こうそい)な建物が建っていたそうです。この御屋敷は、藩主が居住するために造られたもので、酒井家の時代には、藩政を司る重要な場所でありました。現在の城見台周辺です。

西御屋敷

好古園
西御屋敷は、現在の姫路城西御屋敷跡庭園・好古園付近に建てられていましたが、1871年(明治4年)解体されました。

御用場

護国神社
御用場(御用屋敷)は、現在の護国神社(白鷺宮:はくろぐう)一帯に、藩政の本拠となる「御用場」がありました。ここでは、家老以下年寄、町奉行など主要職の評議や訴訟の裁決などが行われていました。後に、廃藩置県で誕生した「姫路県」の庁舎に使用されていたそうです。

姫路藩校•好古堂

好古堂跡(好古園)
藩校は、江戸幕府が湯島(江戸)に『昌平坂(しょうへいざか)学問所』を開設したのがキッカケといわれています。姫路藩でも1749年に、当時の城主・酒井忠恭公が藩校「好古堂」を、中濠の総社門内(イーグレ周辺)に開設しました。1816年(文化13年)姫路城の桜門の外、大手前公園周辺に移されました。1842年(天保13年)桜門の西、現在の好古園周辺に移されました。1871年(明治4年)、廃藩置県でその役目を終えました。

中曲輪内の町名

【東袋町】

城見台一帯
現在の城見台周辺を「東袋町」と呼ばれていました。このあたりに「東御屋敷」がありました。

【西袋町】

好古園一帯
現在の好古園周辺を「西袋町」と呼ばれていました。このあたりに「西御屋敷」がありました。

【桜町】

家老屋敷跡公園一帯
当時、家老屋敷跡公園・大手門駐車場一帯を「桜町」と呼ばれていました。この周辺には、家老屋敷が建ち並び、屋敷と屋敷の間の通りに桜並木があったことから名付けられたそうです。

【小桜町】

大手前公園一帯
現在の大手前公園一帯を「小桜町」と呼ばれていました。このあたりに藩の「御用場」が建っていました。

【大名町】

国道2号線北一帯
中濠(国道2号線)の北、船場川から総社門(市民会館)までの広いエリアを「大名町」と呼ばれていました。大名町の由来は、現在の姫路城を築城した池田輝政公の字名から名付けられたそうです。ここには家老クラスの屋敷や会所が建ち並んでいました。


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