五十音順
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姫路城下・町名由来
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竪町(たてまち)
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この地名は、縦に長い町筋から名付けられ、当時「横に竪町」と姫路の七不思議の一つと話題になった。ゆかた祭りでお馴染みの「長壁神社」もここにある。
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茶町(ちゃまち)
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古二階町の東に「茶町」があり、播磨鑑に「高尾宿」姫路茶屋町東とあり、当時この辺りに「遊女が多くいた」そうです。
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千代田町(ちよだまち)
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古今和歌集の巻七「賀歌」に「君が代は千代に八千代に・・・」とあるようにめでたい田の意で名付けられた。
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寺町(てらまち)
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寺町は、戦いになると武士たちが寺に立てこもり一カ所から侵入してくる敵を待ち伏せし、有利に戦うため城下や周辺から寺院を強制的に一カ所に集め「寺町」と名付けられた。
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豆腐町(とうふまち)
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「とうふ町」は、1680年代にあった。飾磨津門の内に「内豆腐町」、門外に「外とうふ町」があり、豆腐屋が住んだことから名付けられた。門内は城の構え内に柔らかい名は不要と、「南町」に改められた。
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伽屋町(とぎやまち)
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古二階町の前に「伽屋町」があった。寝所に侍(はべ)るなどの意の「伽」ではなく、「研」の当て字だそうです。
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二階町(にかいまち)
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中世の頃、古二階町の東側「茶屋町」があり、二階建ての格子造りの妓楼(ぎろう)が立ち並んでいたそうです。後に「茶町」、「古二階町」と呼ばれる。この二階建ての建物が西へ西へと広がり、東二階町、中二階町、西二階町と名付けられたそうです。地名の由来は、二階建ての商家が建ち、物珍しさから「二階町」と名付けられた。
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福中町(ふくなかまち)
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瑞祥地名(ずいしょうちめい:めでたい意味の言葉をそのまま使ったり、良い意味の言葉から創作された地名のこと。)として近世城下町や開拓地につけられ、全国的に多い。江戸時代は、この辺りを「旅籠町(はたごまち)」といわれ、往来する旅人も増え、1800年前後には19軒もあったそうです。
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北条口(ほうじょうぐち)
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17世紀姫路城の北条門が設けられ「北条町」と名付けられた。
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本町(ほんまち)
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姫路市の「本町」は、姫路城の大手に当り、ここから最初の町屋敷が造られたと考えられる。池田時代、内濠と中濠の間には、340軒余の武家屋敷があった。敷地は広いもので1,807坪(約6,000㎡)狭いもので135坪(450㎡)。1889年(明治22年)本町と名付けられ、全域が本町68番地(約107ha)となった。この広さは、東京都千代田区千代田町1番地の150haに次ぐ面積です。
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南町(みなみまち)
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池田輝政の町割りでは、飾磨門の北側は空き地で後に内新町として町屋を建てさせたそうです。酒井忠恭の頃、城の構え内に柔らかい名は不要と「南町」に改められた。
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綿町(わたまち)
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江戸時代、口入れ屋(仕事の紹介業)や小道具を売る店が多かったので「小物屋町(こものやまち)」と呼ばれていたが、綿問屋などが増えてきたので綿町と名付けられた。家老・河合寸翁がここ「綿町」に設けた「姫路藩御切手会所」や「御国産木綿会所」は、経済の中心地として栄え、明治維新までその機能は続いていた。
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(参考:新・姫路の町名)
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