酒井 抱一
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姫路藩主・酒井忠以(ただざね)の弟で、37歳のとき西本願寺に出家。その後、江戸・根岸に「雨華庵(うげあん)」を営み、書画・俳諧に親しむ。絵は、狩野高信・宋紫石・歌川豊春に学んだ後、尾形光琳に傾倒。主な作品は、国重要文化財の「夏秋草図屏風(なつあきくさずびょうぶ)」や光琳百年忌に刊行した「光琳百図」、播磨を題材にした「播州室明神棹歌遊女行列図」などがある。
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姫路市立美術館には、酒井抱一の作品を多数収蔵している。
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「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
2019年12月16日月曜日
絵師「酒井抱一」
2019年12月15日日曜日
哲学者「和辻哲郎」
和辻哲郎
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和辻哲郎生家
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1889年(明治22年)兵庫県姫路市生まれ。東京大学卒業後、東洋大・京都大学・東京大学の教授を務め、1955年、「文化勲章」受章。哲学者。著書:古寺巡礼、日本精神史研究、原始基督教の文化史的意義、原始仏教の実践哲学、鎖国、倫理学、埋もれた日本など多数。
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2019年12月14日土曜日
近代化遺産・相坂隧道
相坂隧道
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相坂隧道(すいどう)は、相坂本村と谷山を結ぶトンネルで1921年(大正10年)に完成した兵庫県道・宍粟香寺線です。当時、香呂駅西にあった煉瓦会社の煉瓦を使った近代化遺産です。
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2019年12月13日金曜日
正八幡神社
正八幡神社
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拝殿
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樹齢700年、市保存樹・欅
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正八幡(しょうはちまん)神社は、神宮寺をもち盛時は船津郷と神西郡的部(いくはべ)北条12ケ村の総氏神でした。境内には樹齢700年の欅(けやき)など5本あり、姫路市の保存樹に指定されている。また、10月10日の礼祭には「竜王舞」や「獅子舞」などが奉納されます。
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龍王舞
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2019年12月12日木曜日
甲山と甲八幡神社
甲山(かぶとやま)
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市川沿いにある甲山は、標高107mで山頂には「甲八幡神社」があり、頂上に甲山貯水場がある。
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甲八幡神社
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甲八幡神社は、風土記に登場する品太天皇(応神天皇)が祭神です。
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秋祭りは、氏子15ケ村の屋台が神社へと続く急な参道を一気に登っていく力強い祭りで、参道を登りきった屋台は、神社の前でひとしきり練った後、神事が行われます。この神事が終わった後、金竹村の「梯子獅子」が始まります。この獅子舞は、獅子が舞いながら山形に組んだ梯子を登るもので、全国的でも珍しい獅子舞です。続いて、仁色地区の「長持ち道中」が始まります。この長持ち道中は、徳川家康の孫娘・千姫が本多忠刻に輿入れしたとき、仁色の人たちが花嫁道具を長持ちで運び、その褒美として2棹の長持ちを賜ったのが始まりで、以来350年続いています。この『長持ち道中』があるため、灘のけんかまつりは「播州の男祭り」、甲八幡神社の秋祭りは「播州の女祭り」と呼ばれています。平成9年までは毎年行われていましたが、現在2年に1度行われるようになりました。
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梯子獅子
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長持ち道中
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2019年12月11日水曜日
有乳山・岩屋寺
有乳山・岩屋寺
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645年、法道仙人(行基の説もある)が開基。孝徳天皇の病気平癒(へいゆ)を岩屋寺の大岩の下で行い、その功によって七堂伽藍(がらん)が整ったと伝えられています。最盛期には、本院六院、十八坊ありましたが、1577年別所吉親(よしちか)に攻められ焼失。1601年復興。1676年源空が中興して現在に至っています。岩屋寺は、姫路城の鬼門にあたることから姫路城主の厚い信仰をうけ、特に城主・松平直矩の嗣子が誕生した際には、本尊から母乳を授かったとして「有乳山(うにゅうさん)」の山号が贈られました。1923年、国の重要文化財に指定された「木造毘沙門天立像」を安置する本堂の上の大岩の下にお堂がつくられていることから、「岩屋寺」と名付けられました。また、境内には、桜・つつじ・さつきなどが植えられ、春には花見の客で賑わいます。
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2019年12月10日火曜日
飾磨樋門
飾磨樋門
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北播から流れる「市川」は、旧横手村周辺で東西に分かれていましたが、池田輝政の時、東の流れに一本化されました。また、本多忠政の時、西側の川に舟運を開き「船場川」と名付けました。1749年、酒井家の時、大洪水が起り樋門は決潰(けっかい)、船場川は大氾濫し多数の溺死者(できししゃ)が出た。藩主・酒井忠恭(ただずみ)は、1万石の費用をかけ、大樋門を建設しました。その後何度も改修され、現在の煉瓦造りの水門となっています。
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