羽柴(豊臣)秀吉
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秀吉築城、三層の姫路城
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黒田官兵衛(孝高)の居城を譲り受けた秀吉は、西国攻めの拠点とするため築城に取り掛かります。この城は、単に土塁を築いた山城ではなく、石垣を高く積み上げた堅固な構えの3層の「望楼型天守」で烏のように真っ黒な姿をしていたそうです。1581年、西国街道で初めて天守を構えた城が完成し、その祝いに城内で「大茶会」が催されました。西国攻めの拠点・姫路城が完成した後、秀吉は備中に入り、高松城水攻めの最中に起こったのが、あの「本能寺の変(1582年6月2日)」でした。それを聞いた秀吉が、明智光秀を討つため京(姫路城経由)に向け、10日間の大移動をします。これが「中国大返し」です。この後、一気に天下人へと昇りつめたことから、姫路城は、「秀吉の出世城」と呼ばれているのです。その後、秀吉は大坂城を築き、弟・羽柴秀長、木下家定が姫路城主となりました。
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2019年9月18日水曜日
姫路城主「羽柴(豊臣)秀吉」
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