2019年7月17日水曜日

路線バス・麻生・仁寿山周辺散策コース

麻生・仁寿山周辺散策コース

路線バス・姫路駅南口乗場「山電・八家駅行」奥山口下車北へ ⇒ 麻生八幡神社 ⇒ 仁寿山黌跡 ⇒ 河合家墓所 ⇒ 東兼田バス停「姫路駅南口行」(乗車) ⇒ 姫路駅南口(着)帰路へ

麻生山

麻生山は標高173mで、神功皇后西征の際、麻が繁茂(はんも)していたので弦を作らせたことから麻生山と呼ばれました。また、富士山に似ていることから「播磨小富士」ともいわれています。この山には神功皇后が戦勝を祈願し弦を造ろうとした時、弓で地をたたくとたちまち一面に麻が生え、これで弦を造ったそうです。他にもこの山には、数多くの伝説が残っています。山麓には、継・奥山地区の氏神「麻生神社」があります。

麻生八幡神社

麻生山麓、継・奥山地区の氏神・麻生神社の表門には、大正時代まで仁王さんが立っていたそうです。
拝殿
姫路市奥山563

仁寿山

家老・河合道臣は、姫路藩主・酒井忠実から藩の財政を立て直しに貢献として阿保村の幡下山(はたしたやま)を与えられました。道臣は、この山を「仁寿山」と改名し、ここで私立の学問所を設けました。

仁寿山黌跡

仁寿山黌(じんじゅざんまなびや)は、1821年(文政4年)姫路藩の財政再建に大きな功績を残した家老・河合寸翁が設立した私立の学問所で、菅野真斉・近藤抑斎を教授とし藩の子弟などの教育にあたりました。1844年(天保15年)山學に対する非難が高まり、姫路藩主・忠学によって廃止され、藩校・好古堂に吸収されましたが、医学寮は幕末まで続いたそうです。

河合家墓所

坂田町・善導寺から移した川合定恒、河合寸翁など河合家一族の墓碑があります。
姫路市奥山仁寿山梅ケ岡



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