2019年6月9日日曜日

建部家一万石の城下町「林田藩」

建部家一万石の城下町「林田藩」

林田藩陣屋跡
室町後期、谷沢国氏(くにうじ)が子の丘に築城、窪山城(くぼやまじょう)と名付けたのが始まりといわれています。1516年、赤松政村に背(そむ)き落城。林田藩の藩祖・建部政長は1610年8歳で亡父の後を継ぎ、大阪の陣で徳川方に付き、摂津国・尼崎城を固守し、その功績が認められ、1615年、摂津国川辺郡・西成郡の内一万石の所領を与えられます。1617年、播磨国揖東郡林田(現在の姫路市林田町)に国替えとなり、窪山城跡を聖岡(ひじりがおか)と改め、ここに陣屋を構えました。政長は、灌漑(かんがい:排水)用に鴨池をつくり、特に、農業に力を入れたそうです。三代・政宇(まさいえ)は伏見奉行にもなり、京の大火で御所が炎上した際、造営に取り組み、1714年寺社奉行に昇進したそうです。七代・政賢(まさかた)は、学問を好み林田藩校・敬業館(けいぎょうかん)を創設、藩の繁栄に大きく貢献しました。九代・政和は、幕府の大番頭として京の二条城守護の重責についています。また、藩校・敬業館の講師に河野鉄兜(てっとう)を迎え、藩の繁栄にも貢献しました。林田藩は藩主の交代もなく廃藩置県まで250年、十代に渡り建部家が治めていました。歴代藩主の墓は、京都・大徳寺内芳春院に祀られています。建部家は外様大名(徳川家の本来の家臣ではなく、関が原の戦い以後、臣従した諸大名)でした。
建部神社
<参考>
臣従(しんじゅう)とは、家来として従うこと。

林田藩校・敬業館

1794年、七代目藩主・建部政賢(まさかた)が敬業館を開校。一度火災にあいますが再建され、孔子を祭った聖堂(せいどう)や練武場(武術の練習場)、文庫などが備わっていました。現在は、講堂だけが残っています。明治維新後は小学校や村役場、戦後は公民館として利用されていました。1979年(昭和54年)復元工事が行われ、講堂の正面玄関には、松平定信筆の「敬業館」の額が掛けられています。この藩校は、全国的にも数少ない貴重な建物として高く評価されています。
姫路市林田町13

西池(鴨池)

林田藩西御殿「発興亭」があった西池(鴨池)と琵琶山



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