西鶴は、姫路に足繁く通ったかどうかは不明ですが、姫路を舞台とした作品「好色五人女」を1686年(貞享3年)に書いています。目録題は「姿姫路清十郎物語」いわゆる、お夏・清十郎の物語です。この物語は室津、尾上、飾磨などの城下町周辺も舞台にしていますから、西鶴は姫路の情報をよく把握していたといえます。 この物語にも出てくる、妖怪「於佐賀部狐」は姫路の有名な民間伝承ですが、西鶴も『西鶴諸国はなし』1685年(貞享2年)年刊 巻一の七「狐四天王」で一話を形成しています。この情報ルートには、もちろん、明石の場合のような俳諧仲間が考えられますが、もう一つ、商業ルートが考えられます。 西鶴作品には、しばしば「網干衆」と呼ばれる商人の名があがります。『好色一代男』では、東北の酒田の問屋鐙屋の宿泊客として書かれていますが、酒田の本間家の当主が網干で修業したように、日本各地の買い付けにまわる「網干衆」は西鶴のよき文学情報源だったのかも知れません。 |
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