2019年7月3日水曜日

姫路城下「寺町」散策コース

姫路城下「寺町」散策コース

正明寺(出発) ⇒ 妙立寺 ⇒ 妙善寺 ⇒圓光寺 ⇒ 本領寺 ⇒ 法華寺 ⇒ 妙國寺 ⇒ 大法寺 ⇒ 妙行寺 ⇒ 圓證寺 ⇒ 善導寺 ⇒ 正法寺 ⇒ 妙圓寺 ⇒ 帰路へ

寺町とは

寺町は、戦いになると武士たちが寺に立てこもり、一カ所から侵入してくる敵を待ち伏せし有利に戦うため、城下や周辺から寺院を強制的に集め戦力的に建てたそうです。ここ寺町は、現在の五軒邸から南へ坂田町、平野町の3町まで、中濠の京口門跡から東へ約100mです。北から順に、正明寺(五軒邸)、妙立寺(五軒邸)、妙善寺(五軒邸)、圓光寺(五軒邸)、本領寺(五軒邸)、法華寺(五軒邸)、妙國寺(五軒邸)、大法寺(五軒邸)、妙行寺(坂田町)、圓證寺(坂田町)、善導寺(坂田町)、正法寺(平野町)、妙圓寺(平野町)の13ケ寺が建ち並んでいます。

正明寺

天台宗の寺院。
姫路市五軒邸2-88

妙立寺

妙立寺(みょうりょう)は、顕本法華宗妙満寺派。1604年(慶長9年)池田輝政の町割りで遠州吉美郷から移転。
姫路市五軒邸2-85

妙善寺

姫路市五軒邸2-29

圓光寺

姫路市五軒邸2-12

本領寺

姫路市五軒邸1-72

法華寺

法華寺は、日蓮宗本圀寺派。1602年(慶長7年)池田輝政の町割りで三木から移転。千姫の位牌堂を城内から移築しましたが、戦災で焼失。
姫路市五軒邸1-58

妙國寺

姫路市五軒邸1-30

大法寺

姫路市五軒邸1-15

妙行寺

姫路市坂田町153

圓證寺

姫路市坂田町120

善導寺

1602年(慶長7年)池田輝政の町割りで梛本(なぎもと:東高校付近)から坂田町に移転。浄土宗のお寺で、境内の笠塔婆は、市内で2番目に古いものだそうです。
姫路市坂田町5

正法寺

姫路市平野町58

妙圓寺

姫路市平野町3



2019年7月2日火曜日

姫路城下「外濠川」散策コース

姫路城下「外濠川」散策コース

姫路城外濠跡碑(出発) ⇒ 竹之門跡 ⇒ 外京口門跡周辺 ⇒ 北條門跡 ⇒ 三左衛門堀 ⇒ 運河公園(着)

外濠川とは

江戸時代の絵図によると、外濠は両面に石垣を積む箱濠で幅約14m、石垣の高さ約3.5m、濠の内側には土塁があったそうですが、明治時代に外濠の東部を除いて大半が埋められ、土塁も取り壊されました。東部の外濠は、1873年(明治6年)から始まった生野鉱山寮馬車道建設で埋められ、濠幅は半減しました。姫路市は、1994年(平成6年)度から「外堀川環境整備事業」を行い、姫路城の外濠を普通河川として整備。2010年(平成22年)、外濠公園内で実施した発掘調査で、姫路城の外濠の遺構が史料通り残っていることが確認されました。この外濠川の散策は、堀留町から三左衛門堀まで、約5㎞のコースです。

野里堀留町(ほりどめ)

姫路城外濠跡碑
姫山北東から発した姫路城の濠は、左回りの螺旋状に内濠(2,970m)・中濠(4,323m)・外濠(5,232m)と3つの濠が続き、濠の総延長は12,525mあります。この濠の最終地点がここ「野里堀留町」です。

竹之門跡

竹之門絵図
竹之門の造りは、枡形や喰い違いのない簡単な造りでした。建物も単門で、由来は鬼門にあたるため「他家=竹」の門と命名されたそうです。この付近には、濠の跡が残っていますが、遺構は残っていません。(竹之門交差点)

外京口門跡周辺

外京口門絵図
濠の側面に引き込んだ特異な桝形。幅広い土橋は、1625年(寛永2年)の洪水で流失し、その後、木造で作られました。外京口門は、京都方面に向かって開かれていることから名付けられました。遺構は残っていません。(東光中学校・体育館)
河合橋
河合惣兵衛邸跡
下寺橋
外濠公園
河合惣兵衛の碑石

北條門跡

北條門絵図
北條門の土橋は長く喰違いに造られています。これは、敵に横矢を放つためのものです。城門は、二重の隅櫓が建てられています。北条方面に向かって開かれていることから名付けられました。遺構は残っていません。(巽橋交差点南

三左衛門堀

三左衛門堀は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの戦功により、播磨52万1千石の領主となり、濠を建設した「池田三左衛門輝政」の名に因んで名付けられました。輝政は、姫路城の築城と姫路から飾磨津(姫路港)までの間に海防と水運を兼ね、姫路城下の経済的発展を目的に、市川の旧水路を利用し開削を進めたが、工期半ばに輝政は亡くなり、濠工事は中止されました。残った約2kmの濠を1974年(昭和49年)、二級河川・外濠川として全面改修されました。

運河公園

約5kmの外濠川の散策は、歩くことに自信のある方は別として、姫路駅周辺のレンタサイクルを利用されることをお勧めします。散策中は、くれぐれも、交通ルールを守り、車には気をつけて下さい。




2019年7月1日月曜日

姫路城下「船場川」散策コース

姫路城下「船場川」散策コース

船場川について(出発) ⇒ 船場川改修碑 ⇒ 材木町の古い町並み ⇒ 歳徳神社・千姫像 ⇒ 舟入川 ⇒ 車門橋 ⇒ 白鷺橋 ⇒ 備前門橋 ⇒ 亀の甲堰(着)

船場川について

船場川
1617年(元和3年)姫路城主•本多忠政公は船場川を改修し、城下から飾磨津(姫路港)へ通じる約4㎞の間に舟運を開き、「船場川」と名付けました。北は、保城の飾磨井堰(いせき)で市川と別れ、姫路市街西を通り播磨灘に注ぐ約12㎞の河川。
高瀬舟(イメージ)
船場川を上下する高瀬舟は、米、木綿、薪、炭、塩などの生活物資を運び、1929年(昭和4年)まで運行していました。
大蔵前(大蔵前公園周辺)
その物資を保管する蔵が「船着場」周辺に建ち並んでいたことから「大蔵前(大蔵前公園から南)」と名付けられました。また、船着き場の少し北には、高瀬舟を待機させる「船溜り」がありました。

船場川改修碑

清水門外の船場川近くに痛みの激しい石碑があります。判読できないため諸説ありますが、1624年(寛永元年)姫路藩主・本多忠政の船場川改修工事完成を記念して建立された石碑との説が有力です。

材木町の古い街並み


歳徳神社と千姫像

歳徳神社
千姫像

舟入川

岩端から東へ船場川に流れ込む小川を利用して船の荷を上げ下ろしする舟入川を設けたといわれています。

車門橋と梅雨の松

白鷺橋の150m北に架けられている小さな橋が「車門橋」で、この橋の東側に足軽か頭が植えたのが「梅雨の松」で、「播州皿屋敷」などに登場することで有名です。この松は、寛延元年頃に枯れたと伝えられています。

国道2号(中濠)と白鷺橋

1921年(大正10年)旧今宿村から白鷺橋まで国道が開通。1932年(昭和7年)中濠を埋めて東へ延長。1933年(昭和8年)白鷺橋完成。

備前門橋跡

2014年(平成26年)産業道路拡幅工事中、備前門橋跡が確認されました。現在の福中橋の少し南で、西国街道はここから博労町・米田町を経由して龍野町へ通じていました。

亀の甲堰

亀の甲橋近くに本多忠政の設計に基づいたという亀の甲堰(せき)がありました。この堰は、割石で亀の甲形の堰を築いて水位を上げ、備前門から外堀となった東側の堀に水を送る役目をしたと考えられる。