五十音順
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姫路野里地区の町名由来
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生野町(いくのまち)
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江戸時代から名付けられた町人町で、由来は但馬街道の出入口で生野に通ずることから名付けられた。
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伊伝居(いでい)
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田に水が湧くことから「井出村」と呼ばれ、明治に「伊伝居村」となり、現在に至る。
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威徳寺町(いとくじまち)
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昔、威徳寺という寺があったから名付けられた。
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大野町(おおのまち)
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もとは「野里村」といったが、後の町割りで「町屋敷」となり、鋳物師・芥田五郎右衛門が今の五郎右衛門邸から移ったので、「鋳物師町」と名付けた。明治になり「大野町」と名付けられた。
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鍵町(かぎまち)
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鍵形に道が折れていることから名付けられた。
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鍛冶町(かじまち)
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鍛冶屋があったので名付けられた。農具やその修理に欠かせない職業で、当時野里は農地であったてめ、鍛冶職人も集団で暮らしていた。江戸時代は「鍛冶屋町」と呼ばれていた。
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金屋町(かなやまち)
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金屋は踏鞴師・鍛冶師・鋳物師の作業場のことで、その人達が住んでいたから名付けられた。
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河間町(こばさまちょう)
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河(大きく曲がって流れる川)と川に挟まれた狭い所「かわはざまちょう」が「こばっさま」になったといわれている。
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米屋町(こめやまち)
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米屋があったので名付けられた。
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五郎右衛門邸(ごろうえもんてい)
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鋳物師の棟梁・芥田五郎衛門の敷地であったことから名付けられた。
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境町(さかいまち)
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姫山にあった正明寺の寺領四至の境にあったので名付けられた。
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同心町(どうしんまち)
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元禄の頃まで「足軽町」と呼ばれ、組屋敷で広い面積を占めていた。後に同心が住んだので「同心町」と名付けられた。
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伽屋町(とぎやまち)
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古二階町の前に「伽屋町」があった。寝所に侍(はべ)るなどの意の「伽」ではなく、「研」の当て字だそうです。
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野里(のざと)
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古くから人々が多く暮らしていたところ。710年頃「大野(荒れた広い野原)」が開墾されて人々が住む里になり、後に大野の大が省略され「野里村」が生まれた。江戸時代は生野街道の発着地として「野里鋳物師」ら様々な職業の人達が野里街道の両側に建ち並び、城下町姫路の繁栄を担った。明治時代には、生野銀山の鉱石を飾磨港へ運ぶ、銀の馬車道の拠点にもなった。
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福本町(ふくもとまち)
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昔は「比丘尼町(びくにまち)」と呼ばれていたが、尼僧も少なくなり町名を好字に改め「福本町」とした。
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福居町(ふくいまち)
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もともと「白井村」と呼ばれ、都のお公家さんが詠んだ歌が白井村に起源だそうです。後に「福居町」となった。
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橋之町(はしのまち)
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川を埋め町家になったことから名付けられた。
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坊主町(ぼうずまち)
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約350年前につけられた町名で、「坊主」は寺院の僧侶ではなく、能や芝居で舞台上の役を務めた人、つまり現在の俳優のことです。この俳優達が多く住んでいたことから名付けられた。
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八木町(やぎまち)
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八十八つまり米の字にあやかった好字(こうじ)を町名にしたといわれている。
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(参考:新・姫路の町名)
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