路線バス・旧林田藩城下町散策コース
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林田町について
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ここ姫路市林田町は、建部家一万石の城下町で、姫路駅の約10km北西に位置し、鳥取へ通じる「旧因幡(いなば)街道」筋にあり、人馬継立(つぎたて)も行われた交通の要でした。聖岡(ひじりがおか)には建部家の居館があり、岡の周囲は濠をめぐらし、濠の外は侍屋敷や東の街道筋には町家が並んでいたそうです。現在も当時の城下町の雰囲気が残っています。
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約250年続いた林田藩建部家
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建部神社
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室町後期、谷沢国氏(くにうじ)が子の丘に築城、窪山城(くぼやまじょう)と名付けたのが始まりといわれています。1516年、赤松政村に背(そむ)き落城。林田藩の藩祖・建部政長は1610年8歳で亡父の後を継ぎ、大阪の陣で徳川方に付き、摂津国・尼崎城を固守し、その功績が認められ、1615年、摂津国川辺郡・西成郡の内一万石の所領を与えられます。1617年、播磨国揖東郡林田(現在の姫路市林田町)に国替えとなり、窪山城跡を聖岡(ひじりがおか)と改め、ここに陣屋を構えました。政長は、灌漑(かんがい:排水)用に鴨池をつくり、特に、農業に力を入れたそうです。三代・政宇(まさいえ)は伏見奉行にもなり、京の大火で御所が炎上した際、造営に取り組み、1714年寺社奉行に昇進したそうです。七代・政賢(まさかた)は、学問を好み林田藩校・敬業館(けいぎょうかん)を創設、藩の繁栄に大きく貢献しました。九代・政和は、幕府の大番頭として京の二条城守護の重責についています。また、藩校・敬業館の講師に河野鉄兜(てっとう)を迎え、藩の繁栄にも貢献しました。林田藩は藩主の交代もなく廃藩置県まで250年、十代に渡り建部家が治めていました。歴代藩主の墓は、京都・大徳寺内芳春院に祀られています。建部家は外様大名(徳川家の本来の家臣ではなく、関が原の戦い以後、臣従した諸大名)でした。
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林田藩陣屋跡
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林田藩校・敬業館
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1794年、七代目藩主・建部政賢(まさかた)が敬業館を開校。一度火災にあいますが再建され、孔子を祭った聖堂(せいどう)や練武場(武術の練習場)、文庫などが備わっていました。現在は、講堂だけが残っています。明治維新後は小学校や村役場、戦後は公民館として利用されていました。1979年(昭和54年)復元工事が行われ、講堂の正面玄関には、松平定信筆の「敬業館」の額が掛けられています。この藩校は、全国的にも数少ない貴重な建物として高く評価されています。
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林田大庄屋・旧三木家住宅
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林田藩一万石の領内に一万石の大庄屋が3件あったそうです。そのうちの一軒が三木家です。三木家は、英賀城主三木氏の出自と伝えられています。1580年、羽柴(豊臣)秀吉による播磨侵攻で英賀城が落城。一族は各地に逃れ、当家は林田に来て帰農し、江戸時代を通じて林田藩の大庄屋をつとめました。長屋西端には藩主を迎え入れるための御成門や広い屋根の中央に茅葺の屋根、周囲の長屋門、土蔵など6棟が、1990年兵庫県重要有形文化財に指定されました。
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済水寺
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済水寺(さいすいじ)は、庄屋の三木家十一代当主が、盤珪(ばんけい)を迎えて開いた寺です。境内には、六代藩主・建部長教(ながのり)の茶昆所の塔という五輪塔があり、地元の人達から「殿様の墓」と呼ばれています。
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西池(鴨池)
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林田藩西御殿「発興亭」があった西池(鴨池)と琵琶山
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祝田神社
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祝田神社(はぶりた)は、延喜式に記載された古いお宮で、貴船社とも呼ばれたことがあります。
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<延喜式とは>
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延喜式(えんぎしき)とは、平安時代中期に編纂された格式で、三代格式(弘仁格式、貞観格式、延喜格式)の一つ。本殿に向かって左手に藩主(三代政宇、七代政賢、八代政醇)が寄進した石燈ろうがあります。鳥居は、姫路では珍しい朱塗木製の両部鳥居で、参道のもみじ並木は有名で、市の保存樹に指定されています。
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藩主が寄進した石燈ろう
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祝田神社で映画のロケ
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道林寺と河野鉄兜の墓碑
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幕末の詩人、敬業館講師の河野鉄兜の墓碑が墓所にあります。文崇先生之墓と記され側面に略歴が刻まれています。
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ヤヱガキ酒造㈱
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ヤヱガキ酒造㈱は、1666年(寛文6年)創業。代表銘柄の「黒乃無」などは、2012年「現代の名工」に選ばれた杜氏・田中博和氏がこだわる伝統的な「蓋麹(こうじぶた)法」で醸造されています。全国新酒鑑評会金賞受賞やモンドセレクション酒類部門金賞受賞など多数受賞。
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林田八幡神社
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893年(寛平5年)林田庄内八ヶ村の有志36名が山城石清水八幡宮より神体を勧請(かんじょう)しました。林田藩主・建部氏は、10代250年にわたり崇敬し、政宇・政賢・政醇らが奉納した、石灯籠や絵画などがあります。
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素麺濫觴(らんしょう)の碑
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因幡街道の古い町並み
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薬師寺の松尾芭蕉句碑
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1671年(寛文11年)澄光の開基。尊王派の浪士として池田屋騒動で倒れた大高又五郎をはじめ旧藩士の墓が多い。松尾芭蕉の句碑や梵字を刻んだ珍しい名号塔がある。
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降すとも 竹うゆる日は 蓑と笠 はせを(表)
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今もその しづくしとうや 時雨蓑(裏)
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海水が湧くという塩阜神水
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播磨国風土記には、この丘の南に塩水の出るところがあり、縦横それぞれ三丈位(約9m)、海から離れること三十里程(約16km)、 底に小石を敷き周りに草が生えています。そこは、海に通じていて満潮のときは、深さ三寸ばかり(約9cm)になり、 牛・馬・鹿などが好んで飲んだことから「塩阜(しおおか)」と名付けられました。」と書かれています。
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「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
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