圓教寺の門前町散策コース
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曽左について
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曽左は、古事によると書写山の旧名「素戔(すさのお)」に由来するといわれています。西国観音霊場第27番札所で知られる性空上人開基の古刹「書写山・円教寺」の門前町として栄えてきたのが、東坂本村と西坂本村・田井村です。東坂本から「東坂参道」、西坂本から「西坂参道」が円教寺に通じています。
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書写山・圓教寺
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性空上人は天皇や貴族の信仰も厚く、花山法皇も上人の教えを受けに来山。大講堂を建立され、書写山・圓教寺と名付けられました。圓教寺は、天台宗の三大道場の一つ、西の比叡と呼ばれ修行の山、民衆の悩みに積極的に向かう上人の志が今でも生きています。書写山・圓教寺は比叡山を手本にしてきた歴史があります。坂本には日吉神社・八王子神社があり、山上も東谷・中谷・西谷の三所に分かれ、東谷には山門から寿量院、十妙院、妙光院といった塔頭(たっちゅう)が現存しています。
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書写ロープウエィ
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姫路市書写の里・美術工芸館
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補陀落山・如意輪寺
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補陀落山・如意輪寺(ふだらくせん・にょいりんじ)は、1002年(長保4年)性空上人開基の古刹。1398年(応永5年)書写山は女人禁制となり、心空慈傅上人は同寺の傍らに女人堂を創始、女人巡礼の札所としました。
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八王子神社
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性空上人が、廣峯神社の分霊を書写山鉢ケ坪に迎えて王子権現と称しました。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と八柱(やはしら)獅子神(五男三女神)です。天正年間、この神々を東坂の神籬(ひもろぎ)の空間に社殿を構えて遷座されたのが八王子神社です。
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<五男三女神とは>
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五男三女神(ごなんさんにょしん)とは、須佐之男命(すさのおのみこと)と天照大御神(あまてらすのおおみかみ)の誓約によって生まれた五柱の男神と三柱の女神の総称です。
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御車寄跡
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後醍醐天皇が書写山行幸の際、車駕(しゃが:乗物)を駐輦(ちゅうれん:車を止めること)された屋敷跡だそうです。1935年(昭和10年)東坂青年会が発起して駐輦碑を建立しました。
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無量寿山・阿弥陀寺
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僧養季が開基。本尊は阿弥陀如来。1855年(安政2年)寺子屋を開設し、代々住職が西坂本の子弟を教育1893年(明治26年)まで続いたそうです。
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日吉神社
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性空上人が比叡山の守護神・山王権現の分霊を迎えて書写山に鎮守しました。毎年1月8日と5月23日には、神前で円教寺の僧侶による「山王礼拝講」の法儀が一山行事として執行されます。
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坂本城跡
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平城で別名を堀之城または御構御所ともいわれています。1422年(応永29年)、赤松満祐が播磨支配の拠点として築城したそうです。
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