散策コースガイド
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
香寺町について
|
||||||||||
|
||||||||||
香寺町は姫路市の北東部、JR播但線で姫路駅から約20分の市川の西岸の地域です。この付近は「播磨国風土記」で、的部(いくはべ)里と呼ばれた地域で、縄文時代の遺跡がある歴史文化の豊かな地域です。JR播但線と並行する国道312号線は旧生野街道と一部重なり、市川には年貢米を運ぶ高瀬舟が往来し、姫路城下と強い結びつきがありました。棚原山は夢前町との境で、尾根続きの山頂には、中世の山城跡(伊勢山城・田野城・矢田部城)が残り、置塩城を本拠とする赤松氏との繋がりがうかがわれます。1889年(明治22年)の町村制施行で香呂村と中寺村となり、1954年(昭和29年)の町村合併促進法で香呂村と中寺村が合併し香寺町に、2006年(平成18年)姫路市と合併。
|
||||||||||
|
||||||||||
相坂隧道
|
||||||||||
|
||||||||||
相坂隧道(ずいどう)は、相坂本村と谷山を結ぶトンネルで1921年(大正10年)開通した。
|
||||||||||
|
||||||||||
八葉寺
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
八葉寺(はちようじ:播磨西国第三番霊場)は、736年(天平8年)行基が開基といわれています。平安中期「日本往生極楽記」を著した慶滋保胤(よししげの やすたね)が出家し、寂心(じゃくしん)に改名。寂心が建造したといわれています。天台宗播磨六山の一つとしてかなりの格式があったそうで、往時は、山上5院13房寺院があったそうです。山内には寺院跡も残っていますが、現存しているのは八葉寺と塔頭・妙勝院のみです。寂心は、書写山・円教寺を開いた性空上人と親交があり、寂心が皮膚病を煩っていため、性空上人から薬釜を送られ病が治ったといわれています。その釜は今も奥の院に安置され、これを保存するため厨子などは文化財に指定されています。山内は西日本でも有数の子安の木(こやすのき:葉を安産のお守りとし、嫁ぐ娘のタンスに入れていたそうです)の群生地としても知られています。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
法琳寺(岩帰大明神)
|
||||||||||
|
||||||||||
法琳寺(岩帰大明神)は、法華宗の寺院。田野城主・清瀬氏の居館跡でその一族がここに草庵を開いたそうです。本堂の左手に落ち武者伝説にまつわる岩を祀る岩帰大明神があります。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
日本玩具博物館
|
||||||||||
|
||||||||||
1974年(昭和49年)設立。白壁土蔵造りの建物6棟からなり、わが国の懐かしい玩具や人形、郷土玩具など世界160ヶ国9万点を超える資料を収蔵しています。2・3・4号館は常設展、1・6号館は企画展・特別展が開催されています。玩具や遊びの文化をテーマにした講座やワークショップも行われ、わが国を代表する玩具博物館として評価されています。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
香寺民俗資料館
|
||||||||||
|
||||||||||
この資料館は、姫路市船津町御立の豪商・旧尾田家を移築したもので「兵庫住宅100選」に選ばれています。館長・島津弥太郎氏が近畿一円から収集した民具・農具等約10万点収蔵し、我国有数の民俗資料館として知られています。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
JR播但線「香呂駅」
|
||||||||||
|
||||||||||
1894年(明治27年)に建築されたJR播但線・香呂駅と鶴居駅は、兵庫県最古の駅舎「山陽本線・有年駅」に次ぐ駅舎だそうです。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
|
「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
0 件のコメント:
コメントを投稿