麻生・仁寿山周辺散策コース
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麻生山
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麻生山は標高173mで、神功皇后西征の際、麻が繁茂(はんも)していたので弦を作らせたことから麻生山と呼ばれました。また、富士山に似ていることから「播磨小富士」ともいわれています。この山には神功皇后が戦勝を祈願し弦を造ろうとした時、弓で地をたたくとたちまち一面に麻が生え、これで弦を造ったそうです。他にもこの山には、数多くの伝説が残っています。山麓には、継・奥山地区の氏神「麻生神社」があります。
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麻生八幡神社
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麻生山麓、継・奥山地区の氏神・麻生神社の表門には、大正時代まで仁王さんが立っていたそうです。
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拝殿
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仁寿山
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家老・河合道臣は、姫路藩主・酒井忠実から藩の財政を立て直しに貢献として阿保村の幡下山(はたしたやま)を与えられました。道臣は、この山を「仁寿山」と改名し、ここで私立の学問所を設けました。
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仁寿山黌跡
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仁寿山黌(じんじゅざんまなびや)は、1821年(文政4年)姫路藩の財政再建に大きな功績を残した家老・河合寸翁が設立した私立の学問所で、菅野真斉・近藤抑斎を教授とし藩の子弟などの教育にあたりました。1844年(天保15年)山學に対する非難が高まり、姫路藩主・忠学によって廃止され、藩校・好古堂に吸収されましたが、医学寮は幕末まで続いたそうです。
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河合家墓所
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坂田町・善導寺から移した川合定恒、河合寸翁など河合家一族の墓碑があります。
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「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
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