2019年12月10日火曜日

飾磨樋門

飾磨樋門

北播から流れる「市川」は、旧横手村周辺で東西に分かれていましたが、池田輝政の時、東の流れに一本化されました。また、本多忠政の時、西側の川に舟運を開き「船場川」と名付けました。1749年、酒井家の時、大洪水が起り樋門は決潰(けっかい)、船場川は大氾濫し多数の溺死者(できししゃ)が出た。藩主・酒井忠恭(ただずみ)は、1万石の費用をかけ、大樋門を建設しました。その後何度も改修され、現在の煉瓦造りの水門となっています。
飾磨樋門
姫路市砥堀



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