2019年10月2日水曜日

軍師「黒田官兵衛」

黒田官兵衛

NHK・大河ドラマ「軍師・官兵衛」でお馴染の黒田官兵衛は、大きな転機となるのが羽柴秀吉との出会いでした。播磨の豪族達が、毛利か、織田か、で揺れ動く中、織田に付くよう主君・小寺氏を説得。信長の命で秀吉に従うことなった官兵衛は、毛利攻めに向かう秀吉に姫路城を献上。それ以降、秀吉の懐刀(ふところがたな)として播磨を制定し、中国・四国・九州を征伐していきます。中でも、備中高松城の水攻めの際、本能寺の変で織田信長の死去が知らされ、肩を落とす秀吉に今が天下取りのチャンスと進言。「中国大返し」を実行させました。これらのエピソードからも、時代を見通す慧眼(えげん)の持ち主であったことが伺えます。また、戦国時代にあって、人の命をむやみに奪うことを嫌った官兵衛は、実戦だけでなく数々の戦で折衝にあたります。その中で、説得に赴いた有岡城で1年以上土牢(つちろう)に幽閉されましたが、秀吉を裏切らず忠節を貫いた「信念の人」でした。各地の戦陣で活躍した官兵衛は、1587年(天正15年)に九州征伐の論功行賞で豊前国の6郡を与えられ、豊前・中津へ移り、黒田家筑前52万3千石の礎を築きました。
黒田官兵衛
生誕1546年 ⇒ 死去1604年 享年58歳


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