2019年7月11日木曜日

JR姫新線・播磨高岡駅周辺散策コース

JR播磨高岡駅周辺散策コース

JR・播磨高岡駅
JR姫新線・姫路駅(出発) ⇒ 播磨高岡駅(着)⇒ 国道2号線東へ ⇒ 今宿西交差点を北へ ⇒ 高岳神社 ⇒ 瓦山 ⇒ 旧西国街道散策 ⇒ 道標 ⇒ 常夜灯 ⇒ 夢前川 ⇒ 神姫バス・日赤病院前バス停「姫路駅北口行」(乗車) ⇒ 姫路駅北口(着)

播磨五の宮「高岳神社」

標高125mの蛤山は、大岩から蛤の化石が出たことから名付けられ、蛤の化石は高岳神社の宝物として祀られています。山頂には、巨大で奇妙な形の大岩がそそり立ち、古代の人たちは神として崇めました。高岳神社は、延喜式に出てくる古い神社で、播磨五の宮といわれました。当初、八丈岩山にあったこの神社は、826年に現在地に移され、その後、赤松円心が社殿を修復しました。
蛤山
高岳神社の秋祭り
姫路市西今宿8-5-8

瓦山(現:船越山)

瓦山(現:船越山)
船越神社
ここ下手野の北東に船越山があります。この山が、青山合戦で黒田官兵衛が陣取った「青山」のことで、当時は「瓦山」と呼ばれていました。ここには、船越神社があります。

川会所

江戸時代、ここ下手野は姫路城下の西の入口にあたり、東西は西国街道が走り、北は作州街道と因幡街道、夢前川には渡し船の渡し場があり「川会所(川越しに関する事務を扱った役所のこと)」も設けられていました。このように下手野は交通の要として栄えた所でした。
右 誕生寺道
左 たつの

宿場町

ここには旅籠屋が建ち並び川留めの際には、西国の大名や幕府のお役人なども宿泊した、かなりの規模の宿場町でした。
<根拠>
ここに姫路藩の「一里番所(江戸時代、幕府や諸藩が交通の要所などに設置した監視所のこと)」が置かれていました。残念ながら、遺構は残っていません。
夢前川の東、西国街道の入口に「常夜灯」があり、「金毘羅大権現 常夜灯 文政十丁亥年 八月吉日 願主当村桔梗(ききょう)屋 世話人」と刻まれ、ここで旅籠を営んでいた桔梗屋が建立していることからも、ここが宿場町だったことが確認できます。

夜灯
当時、桔梗屋の他に、大屋、井筒屋、まるや、大黒屋、油屋、花屋、からすき屋、材木屋などの旅籠屋があったそうです。残念ながら、遺構は残っていません。

夢前川

姫路藩主・榊原忠次が、1655年(明暦元年)御立の横関に堰を築き、それまで御立から今宿に流れていた主流を直接青山に導き、現在の姿になったそうです。



0 件のコメント:

コメントを投稿