姫路城西御屋敷跡庭園・好古園
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好古園は、「姫路侍屋敷図」をもとに特別史跡地の姫路城西御屋敷跡で、1618年に造営された西御屋敷が発掘調査で確認され、京都大学教授・中村一(まこと)氏の設計・監修により、遺構をそのまま生かした3.5haの池泉(ちせん)回遊式庭園群で、9つの日本庭園で構成され、それぞれが屋敷割遺構どおり築地塀等で仕切られ、「築山池泉の庭」の四阿(あずまや:庭園などに眺望・休憩などの目的で設置された簡素な建屋のこと)・臨泉亭、「夏木の庭」の四阿・鷲望亭、世界遺産・姫路城を借景にした「流れの平庭」の四阿・流翠亭、15種類の竹を植栽した「竹の庭」の四阿・聞竹亭、「花の庭」の四阿・花笠亭などがあります。各庭園の入口には長屋門、屋敷門、渡り廊下で結んだ活水軒と潮音斎、裏千家第15代家元・千宗室氏設計・監修による本格的な数寄屋建築の茶屋・双樹庵など、江戸時代の建築が再現され、世界文化遺産・国宝・姫路城を借景にしているのが特徴です。また屋敷の庭の瀬戸内海の風景を表した大池には、約250匹の錦鯉が飼われています。好古園は、市制100周年にあたる1992年(平成2年)に開園し、2014年(平成26年)11月25日、入場者数400万人を超えました。
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藩校・好古堂から命名
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姫路藩主・酒井家は、1692年(元禄5年)上野国厩橋(うまやばし:現在の群馬県前橋市)で藩校・好古堂を開校し、1749年(寛延2年)酒井忠恭(ただずみ)が姫路藩へ移封となり、藩校も城内の大名町東南の総社門内の元藩会所跡(現在のイーグレ南付近)に、その後、桜町大手門前南側(現在の好古園入口付近)に移し、寄宿舎を私学校・仁寿山饗(じんじゅざんこう)から移築させ、演武場などを新築し、藩校の規模と教育内容を一層充実させました。好古園入口の扁額(へんがく)は、好古堂の督学(とくがく)を務めた松平惇典が開いた家塾の塾頭(じゅくとう)・結城義聞(ぎもん)氏の子息・元東京大学教授・結城令聞(れいもん)氏直筆だそうです。
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レストランと茶室
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映画のロケ地で有名
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映画関係者に「まるで緻密に計算され尽くしたセットのようだ」と言わせたそうです。好古園は、姫路城を借景にした日本庭園で、武家屋敷の家並みを彷彿とさせる土壁や白壁、重厚な屋根瓦が連なる築地塀などセットでは表現できない質感と存在感を醸し、水戸黄門、暴れん坊将軍、大岡越前、るろうに剣心、TAJOMARU、幕末高校生など国内外の映画やドラマのロケ地になっています。また、好古園は三十数種の四季の花が楽しめます。
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好古園が選ばれた百選
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紅葉会
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夜桜会
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観月会
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秋の大茶の湯
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問合せ先
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「遊びにおいで姫路へ」は、あまり紹介されたことのない姫路の観光スポットや散策コース、うまいもん、花だより、みやげ物、おいしい食べ物や工芸品の体験情報など満載です。姫路ファンの皆さんに「楽しかったわ。面白かったわ。」と100%満足していただくための「姫路観光情報ガイド」です。
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